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スペシャルインタビュー

第一回:東京スポーツ・レクリエーション専門学校 顧問:妻木充法さん

今後のビジョン?後進のレベルアップに役立ちたい。そのためには、もっと自分を磨かなきゃ。
PROFILE

●妻木充法(つまき・みつのり)

1953年静岡県生まれ。東京スポーツ・レクリエーション専門学校顧問、TSRアスレティックコンディショニングセンター 長。横浜F・マリノスアスレティック・アドバイザー、元ジェフユナイテッド市原・千葉チーフトレーナー。日本体育協会公認アスレティックトレーナー・トレーナーマスター、鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師 / 東京スポーツ・レクリエーション専門学校

生活のために取得した鍼灸師の資格。実務経験を積むためにトレーナーの世界に飛び込んだんです。

★トレーナーになったきっかけは何ですか?

妻木:

大学で心理学を専攻していたんですが、卒業直前に目を悪くして角膜移植を受けたんです。ちょうどその頃、父が亡くなったこともあって、精神的にも経済的にも、かなり深刻な状況でした。最悪の場合を想定して、失明しても生活できる術を身につけておこうと思って夜間の鍼灸の専門学校に通いました。大学を卒業してから、昼間は病院で検査技師のアルバイトをして、夜間は専門学校。
何とか鍼灸師の資格を取得できましたが、実務経験がないと食べていけないでしょ。それでトレーナー分野の先駆けだった小守スポーツマッサージ療院に入ってトレーナーの修行をしたのがこの世界に入ったきっかけです。

★なぜサッカー選手のトレーナーになったのですか?

妻木:

新米の頃は、プロ野球にアイスホッケー、バレーボールやバスケットボールなど、いろいろなスポーツを担当させられるんですよ。サッカー界に入ったのは、たまたまです。当時は――今から25年くらい前ですが――野球が盛んだったので、サッカーのトレーナーをやる人がいなかったんです。日本代表のトレーナーがいないというので僕が駆り出されたわけです。プロ野球界にはピッチャーの肩をマッサージする、いわゆるメディカル系のトレーナーがいましたけど、まだサッカー界ではトレーナーがついていたところはほとんどありませんでしたね。サッカーはコンタクト・スポーツですからケガが多いので、応急処置や疲労回復のマッサージなどが主な仕事でした。




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